Saturday, July 10, 2010

川西政明著「新・日本文壇史第2巻」を読んで

照る日曇る日 第354回


シリーズ第2作目では若山牧水、広津和郎、島木赤彦、斎藤茂吉、志賀直哉、里見弴、宇野浩二、有島武雄など「大正の作家たち」が次々に俎上に載せられ、彼らの女性関係が赤裸々に描かれます。

園田小枝子と別れ、太田喜志子を得てようやく歌人としての基盤を確立した若山牧水。

下宿の娘神山婦くとの腐れ縁につながれながら、婦くの妹を孕ませ、有楽町のカフェの女給栗林茂登を「第二の妻」とし、カフェライオンの松沢はま、新橋の待ち合の女将白石都里、インテリ女秋月伊里子と関係しつつ、長く文学活動を持続した広津和郎。

前妻うた、御妻ふじとの間に三男三女を産ませながら、年下の後輩静子との愛欲に溺れた島木赤彦。

気性の合わない妻てる子との満たされない思いを、若い美貌の歌人永井ふさ子との恋に激しく燃焼させた斎藤茂吉。

女中千代との肉交をきっかけに女遊びに走り、吉原の女郎峯との情交にうつつを抜かした志賀直哉。

その直哉と同様、自家の女中八重を妊娠・堕胎させた後に、志賀直哉から女郎買いを教えられ、吉原の君代との房事過多の日々を経て、芸妓山中まさと結ばれた後も、赤坂の芸妓菊龍との情交を続けた里見弴。

インテリの家庭に生まれながら蛎殻町の銘酒屋で娼妓をしていたヒステリー女伊沢きみ子との悲惨な「苦の世界」を描くことによって文壇に躍り出たが、置屋に叩き売った彼女を自死させ、その後芸妓村田キヌと結婚しつつも、上諏訪の芸妓原とみや星野玉子、村上八重との関係を続けて、ついには発狂した「小説の鬼」宇野浩二。

そして「妻波多野秋子を譲るから1万円出せ」との忌まわしい夫の強迫を断固拒否して純愛を貫き、大正一二年六月九日午前二時過ぎ軽井沢で縊死心中して果てた有島武雄まで、作家はすべて女性によってつくられたのです。

著者は「作家を作った女たち」という視点から、作家たちの、とても褒められたものではない無様な生き方を、舌なめずりするように精査し、そのレポート自体を彼らの作品論としています。

そもそも日本の私小説は、明治四四年東京朝日新聞に連載された徳田秋声の「黴」をもってその濫觴とし、大正九、一〇年頃には私小説という言葉が定着したそうですが、著者はそうした私小説作家の私生活を縁の下の「妹の力」として支えた女性たちにまばゆいばかりのスポットライトを浴びせながら、「日本文壇史」とはとりもなおさず「日本文壇女性関係史」であることを雄弁に物語っているようです。


はじめに女ありき そこから始まった日本私小説 茫洋

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