Thursday, July 22, 2010

ギュンター・グラス著・池内紀訳「ブリキの太鼓」を読んで

照る日曇る日 第358回

現代ドイツ文学の最高峰の若書きとしてあまねく人口に膾炙する本作ですが、いったいどこがどう面白いのか理解に苦しみます。

3歳の時に地下室に転落して以来成長を拒否した主人公が故郷ダンツヒを舞台に第2次大戦の戦中戦後をアクロバチックに怪しく生き延びるピカレスクロマンにして20世紀のビルダングス浪漫、なのではありましょうが、それらのやっさもっさが著者の切実な戦争体験に基づく政治的性的ドキュメンツなのだとしたところが、それがいったいどうしたのさ。

それでも新工夫を凝らそうとする著者は、主人公の言動を、「オスカル」と「ぼく」に2分化して描写しようとしているのですが、ではこの3人称と1人称をどのように区分けし、どのように統合しようとしているのかが読めどもてんで分からない。いかにも20代の若造の考えそうなアイデア倒れに過ぎません。

もしかするとヒトラー・ユーゲントに入っていた前歴を2重人格的に複合化(ナチと非ナチの自分)しようと思いついたのかも知れませんが、このように重大な事実を著者が告白したのはようやく06年になってからのことでした。

あまり否定的なこと挙げばかりでは公平を欠くので、無理矢理面白そうなことをとりあげると、この主人公のいちばんの執着は女性のスカートの下の匂いで、祖母のそれからはじめって恋人や看護婦のその部分への異常なこだわりが随所で執拗に描写されているのはそれほど変態的でもなく、人間の本質を外貌ではなく肉体生理に求める文学者らしいフェチ嗜好として微苦笑しつつ読み飛ばすことができます。

そういえば、昔これを原作としたフォルカー・シュレンドルフの映画を見たことを思い出しましたが、オスカルの太鼓連打で教会の窓ガラスが粉砕される光景がことのほか印象的で、あのような武器を欲しいと今でも思わないでもありません。



♪一斉の太鼓連打で宿敵打倒恩敵退散 茫洋

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