Thursday, July 01, 2010

林望訳「謹訳源氏物語二」を読んで

照る日曇る日 第352回

なかなかに味わい深かった第一巻に続いて、本巻では末摘花、紅葉賀、花宴、葵、賢木、花散里の各編をすいすい読ませる快適な現代日本語にほんやくしおおせ、凡百の源氏研究家との違いを見せつけました。

とかく源氏は難物で、真面目な学者先生のみならず流行作家や文学者のはしくれが手がけた場合でも、読んでちっとも面白くないことが多いのですが、りんぼう先生のはまずは合格点を差しあげられます。とりわけ物語・小説の面白さを第一義にして、重箱の隅をつつくような煩瑣すぎる語義解釈に傾かず、平安時代物の格調にさほどこだわらず、適当にポップで遊び心を取り入れているところが特によろしいのではないでしょうか。

それらの美点は、あほばか下半身突貫男がどうしようもなく藤壺に惹かれて執拗に迫るところや、六条御息所の怨霊が本人の意思を超越して葵上の肉をとり殺すシーンなどに生々しく活かされています。

それにしても紫式部という女性は恐ろしい作家です。片方では源氏の放恣な性的欲望とその全面的な勝利を描きながら、後半部ではその矛盾と崩壊を徹底的にえぐりだし、愚かにも哀れな男のさがを、さながら掌中に蠢く虫けらのように描破するのですが、そのありさまはちょいとモーツアルトのダポンテ・オペラの「ドンジョバンニ」に似ているのではないでしょうか。

たとえば六条御息所はドンナ・エルヴィラ、藤壺や紫上や朧月夜の君はドンナ・アンナタイプ、末摘花は歳をくったツエルリーナといったところ。そしてレポレロが揶揄したように「スカート(肌襦袢)をつけている女なら誰でもモノにした」この希代の好き者は、結局己の妻を寝とられて苦悶しながら地獄の業火に身を焼かれる。自業自得とはこのことでしょう。

「光り輝く君」などともてはやしておきながら、それらは表層のキンキラキンのお飾りに過ぎず、とどのつまりは「高転びに、あおのけに」地獄に蹴落とされる。源氏とは、「所詮男はこうしたものよ」という紫式部の冷笑が、全編にわたってあちこちから聞こえてくるような男子禁断の書かもしれませんね。


フィールドに一度も立てずアフリカの歌をうたいし選手のこころ 茫洋

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