Tuesday, July 27, 2010

柳美里著「ファミリー・シークレット」を読んで

照る日曇る日 第360回

どうやらこの人はいいしれぬ苦悩に陥っているようです。そうして、それがどういう苦しみであるのか、またその苦しさがどこからやって来たのかについて、この人の苦難に満ちた来歴が、あるいはまたその絶望的に悲惨な日常生活の断片が、啼くがごとく、恨むがごとく延々と語り続けられるのです。

幼い時から父親の家庭内暴力の被害に遭い、世間からも迫害されてきたという作者は、様々な小犯罪やリストカット、自殺未遂を繰り返しながら、おのれを護持するために懸命に小説を書いてきたそうです。

しかし不幸なことに、40歳を超えた今日も過去のトラウマから解放されず、新しい連れい合いからは連日殴る蹴るの虐待を受け、しかしながら前夫との間に出来た最愛の息子に対しては時として暴力を加え、夜は寝られず、精神には異常をきたし、とうとう著名な精神分析者のカウンセリングを受けることになります。

そうして何度かの濃密なセッションを通じて、次第に作者の精神的な障碍の構造があきらかになり、長年にわたって音信不通であった父親との再会が実現し、(それらの「家族の秘密」はすべてあからさまに小説の中で公開されるわけですが)、幼い時から奪い去られていた「愛」を取り戻すためのささやかな試みがようやく開始されるかにみえるところで、本書はなんとかハッピーエンドの姿を取ろうと努めるのです。

けれどもまばらな拍手にこたえるべくカーテンコールによろばい出た作者の、鎌倉雪の下カトリック教会で聖体拝受にあずかる疲労困憊した姿や、横浜弘明寺商店街を彷徨する幽鬼のような姿は、とてもこの世のものとは思えません。

複雑な少女時代に「碧いうさぎ」の刻印を受けた酒井法子や、わが子を川に投じた畠山鈴香に自分の分身を感じるという作者の赤裸々な言行録は、読む進むほどに痛ましさがつのり、「親の因果が子に報い」などという古いことわざが、あたかもアポロンの不吉な神託のように聞こえてくるので面妖な心地さえしてくるのです。

いずれにしても、ほとんど精神の決壊寸前に立ち至ったこの俊秀の一日も早い拝復を祈らずにはおれません。

「お父さんは好きか嫌いかどっちなの」に遂に答えられぬ柳美里 茫洋

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