嵐山光三郎著「よろしく」(集英社)
嵐山光三郎は不当に低く評価されている作家だが、それは間違っている。
彼の作品はすべて読むに値し、読後の深い感銘を残す。特に山田美妙や芭蕉などの文学者を素材に取り扱った際の彼の技量の冴えは鋭く、凡百のヒョーロンカどもの白痴的言説を地上はるかの高みからアハハハアと嘲笑うのである。
特に人生の黄昏を迎えた父母と暮らしながら、その1日1日の断片をいとおしむように綴ったこの作品は、もしかすると彼の最高傑作かもしれない。
この小説には著者の家族や友人、著者が住むK立市の町内に住む有名無名の住人や奇人変人が続々と登場し、殺人事件や恐喝、詐欺、痴情、暴力、警察沙汰などの大小の事件と騒動を繰り広げる。
それらの大半は事実であり、ありのままの現実の描写なのだが、著者の筆にかかるとそれらがそのまま幻想譚であり、壮大なフィクションであり、人間非喜劇と化す。
嘘か眞か、ではなくて嘘も眞も一体となり混在するまか不思議な世界へと読者は導かれる。だから、これこそはほんとうの現代文学なのでR。
彼の文章の特色は、その独特のユーモアと冷徹な無常観の共存にある。彼は面白うていつも哀しき人の世の習いを、草原を一定の速度で黙々と直進するサイのように淡々と叙述する。
その白眉が本書の第八章「月おぼろ」である。これから読まれる方のためにいっさいの情報を封印するが、ともかく黙って読んでみてほしい。285pから312pまでの28pは骨肉に徹する瞠目の大文章である。これこそが文学だ。
この偉大な平成の風狂散人は、内心では炎のような情熱と狂気と無政府主義魂が燃え滾っているのに、それをおくびにもださずに冷徹に生きる。
世間を正確に見据える鴎外のような、荷風のようなその姿勢が好ましい。
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