あなたと私のアホリズム その6
世界の三大宗教は3人の偉人の偉大な死によって始まった。
イエス・キリストは西暦28年、32歳のときポンテオ・ピラトの命によってゴルゴダの丘で十字架上で磔になり、「わが神、わが神、なんぞ我を見捨て給いし」と叫んで息絶えた。しかも彼は3日後によみがえったと言われている。
これに対してイスラム教の始祖マホメットは、西暦632年、61歳のとき愛妻アイーシャの胸に抱かれながら波乱万丈の生涯を終えた。
コーランの最後の言葉は、「言え、おすがり申す、人間の主に、人間の王者、人間の神に。そっと隠れてささやく者が、ひそひそ声で人の心にささやきかける、妖霊もささやく、人もささやく、そのささやきの悪をのがれて」である。
いっぽうゴータマ・ブッダは、紀元前480年、鍛冶工の子チュンダが献じたきのこ料理が直接の原因となってクシナーラーで80歳で涅槃し、火葬に付され、その骨の一部はわが国の名古屋市覚王山日泰寺に納められ、諸宗交替で輪番する制度になっている。
「さあ、修行僧たちよ、お前たちに告げよう、もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成しなさい」
が、ブッダの最後の言葉であった。
インドでは古くから人間の一生を学ぶ学生期、家族を支える家住期、晴耕雨読の林住期、死出の旅に出る遊行期に分けるが、ブッダはその生涯を通じて「よく死ぬための旅」を敢行し、ついに旅に死んだのである。
ブッダはクシナーラーではなく、本当はその先にある自分の故郷釈迦族の都カピラヴァストゥへ向かっていた。かつて自分が妻子と国民を捨てて出た故郷へ…。
その故郷はブッダの名声をかさにきて傲慢になり、それが原因で敵国コーサラによって滅ぼされてしまう。それに対して自責の念を感じていたブッダは、最後に自らの母国を目指そうとしていたが途中で力尽きた。
3人の偉大な宗教家のなかでは、私はそんなブッダに生き方と死に方が一番好きだ。
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