Wednesday, February 28, 2007

モーツアルト狂想曲

♪音楽千夜一夜第13回


真率あふるる音楽の言葉、心情の奥の奥の、またその奥にかすかに響く音を、私はTRAZOMに聴く。

いま流れてくるのはハ短調の幻想曲K475、そして続いて同じハ短調のピアノソナタK457、いずれも偉大なクラウデイオ・アラウの演奏で聴いている。

これらの曲はTRAZOMの最良の教え子、マリア・テレージア・トラットナーとの愛のために書かれた聴くものの心をえぐる真の傑作だ。

今度は「フィガロの結婚」をエーリッヒ・クラーバーの演奏で聴こう。

男と女のすさまじい欲望の嵐が吹き荒れる。フィガロとスザンナの熱狂の1日…。

第三幕の四重唱、五重唱、そして圧倒的な六重唱を聴け! 

そして第四幕の庭園に夜が迫り、ブルジョワの世の終わりを告げる伯爵夫人の「私は弱い女ですからすべてを許します」の一言を聴こう。

かくてオペラは終る。しかし、この突然の終結はなぜだろう?

TRAZOM、お前はどこに消えたのだ? 

劇場の人々は無となって宙吊りになり、なにかしら神のように偉大な存在が、無力な我々に降臨する。神に愛されたTRAZOMはきっとその隣にいるのだろう。

けれどもほんとうは神は不在であり、女は男をけっして許しはしなかった。

さあ今度は、ソレルスにならって「ドンジョバンニ」の序曲を聴こう。

わずか数百小節で起こるのは、婦女暴行、殺人、暴行の告白、復讐の決意…、ウイーン社交界を地獄に突き落とす疾風怒涛のオペラの幕開きだ。

初演を聴いた途端、かのカサノバは彼の有名な自叙伝を書くことを決意したそうだ。

そしてあの有名なドンジョバンニの地獄落ち。

それは1600年にローマで火あぶりになったジョルダーノ・ブルーノの最期を思わせると、ソレルスはいう。

「最期の発言で彼は以下のごとく述べた。自分は悔い改めたとは思わない。悔い改める理由がない。悔い改める材料がない。この結果、以下のものが焼き払われた。書物。それらの作者。コルクガシの枝」

ブルーノのように頑固なモーツアルトは、ヨーゼフ2世によって永久に見捨てられた。

ソレルスは語る。

「人生はひとつの音楽である。そして幻想抜きに、同時にまた必要な幻想を抱きながら過ごされるとき、人生はよりいっそう音楽となる。

こうした芸術を「楽しい知識=ゲ・サヴヴォワール」と呼ぼう。

「楽しい知識」は軽やかで悲劇的で、叙情的で、ほてりがあって、単純で複雑で、滑稽である。

精神は絶えざる運動なのだ。自由な様子、自由な愛、自由な創造。極貧状態にあったり、不幸のどん底にあったりすることを含めて…」

と。

(引用と参考文献 フィリップ・ソレルス著「神秘のモーツアルト」)

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