闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.208
この作品は、佐賀県唐津の杵島炭鉱のある海辺の寒村で貧困にあえぐ在日コリアンの一家の物語を、猛将今村昌平が1959年に映画化したもの。原作は一家の次女である安本末子で題名の「にあんちゃん」とは次兄の愛称である。
両親に死なれたこの4人きょうだいを次々に襲う離散と差別、極貧の危機と苦難を、映画はこれでもか、これでもかとリアルに描くのだが、不思議なことに暗欝さはなく、どこにも希望の無さそうなこの現実と現在を達観し、目には見えないエーテルで昇華したような透明さが吹きわたっているのが不思議である。
眼前の海や池と見れば躊躇せずに真っ裸になって飛び込む幼い兄弟姉妹たち。
彼等には彼等のハンデイキャップを、社会や他人のせいにしない健康さと潔さがある。無一物の者だけに許された自由と果てしない未来への飛翔と投企がある。
被差別の最下層から上空を見上げれば、エネルギー政策の破綻に因る労働争議も、不当解雇も、恐るべき求職難も、いわば非現実界の仮相事象として無化され、原始的、動物的な人世根性論による限りない上昇志向だけがフォーカスされてくるのである。
どのような困難にもめげずボタ山の頂上めがけて登り続けるにあんちゃんの後ろ姿には、当時の貧しい日本国が盲目的に懐いていた漠然とした希望と無限のエネルギーが象徴され、そして例えばソフトバンク現社長の華々しい登場が予告されている。
役者は、長門裕之、松尾嘉代、吉行和子、殿山泰司などが出演しているが、北林谷栄の怪演が印象に残る。
要は国や世間や他人をあてにしないで歩き続けること 蝶人
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