照る日曇る日第496回
歌壇の孤峰にして泰斗である当年とって84歳の著者が、かのアウグスティヌス、スタンダール、森鴎外の顰に倣い、アナトール・フランスの「エピクロスの園」に霊感を受けてものした「コンフェシオン」こそが本書である。
なにせこれまで3人の女性と離別し、32歳年下の4人目の女性と共棲している平成の大歌人が、過ぎ越し方をばゆくりなく振り返って、常の人なら墳墓の奥底にまで引き摺りこんでゆこうとする忌まわしき己の所業その罪咎を、あますところなく暴露するぞお、なーんて、宣言するのだから穏やかでない。と同時に、ますます下賤の身ゆえの好奇心がくみ取り便所の蛆虫のように湧きだしたのだが、なまなかの私小説作家の赤恥物よりスキャンダラスで面白いことは請け合いである。
しかし著者もみずから語っているように、2009年11月に日本芸術院会員に推されてからはメスの切っ先が鈍り、秘めたる暗所への自己切開に緩みが生じたのか、私がいちばん知りたかった彼の2度に亘る突然の出奔について全く触れていないのは、羊頭狗肉とは難じられないまでも、甚だ遺憾のコンコンチキである。
それにしても、かつてのマルキストがあろうことか天皇皇后両陛下に親しく作歌を指導する宮廷第一等の桂冠歌人となりおおせた姿は、いかに思想の上下左右転回転倒は許されているとはいうものの、アホ馬鹿単細胞のわたくしには到底理解を絶したコンコンチキであった。
末尾の挑発的な「原発擁護論」も首をかしげてしまうような奇怪な論旨であるが、ゲーテが主唱した機会詩の今日的実践として自在に引用されている自作短歌の素晴らしさは、それらの瑕瑾を補って余りあるものだ。
国家など即「YMCA」に変えるべし全国民が立って踊って歌うだろ 蝶人
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