照る日曇る日第230回
著者が梅棹忠夫、上山春平などと打ち合わせが終わって、京都・祇園のお茶屋で四方山話に興じていると、突然酔っぱらった吉川幸次郎が部屋に乱入してきた。
偉大なこの中国文学者は、酒が入ると荒れる傾向があったが、その日はなにやら異常な殺気のようなものが漂っていた。危険を感じた梅原はそっと席を移ったので、その結果吉川は梅棹の隣の席に座ることになった。
すると酒乱の大学者は、いきなり「お前がつまらん学問をやっている梅棹か。お前のやっているフィールド研究などというものはいい加減なものだ。文献を読まないような学問は学問ではない」と面罵した。
そこで梅棹が、「文献研究だけではとても歴史の真実は解らない。文献には結構嘘が書いてある」と反撃すると、当時70代の吉川は激怒して50代の梅棹に殴りかかった。
すぐに腕っ節の強い上山と福永光司が中に入り、すぐれた道教の研究者であるとともに柔道5段の福永が吉川をはがいじめにして隣室へ連れて行ったそうだ。
さらに梅原は、「その後ろ姿に梅棹が、『この馬鹿ジジイ』と浴びせた罵声が、いまだに私の耳の底に残っている。それは私の幻聴かも知れないが、確かに私はそう聞いたと思う。」と記してから、己の学問に絶対の自信を持つ2人の碩学へのオマージュを捧げている。
私はこの興味津々たるエピソードを目にして、梅棹忠夫と福永光司がさらに好きになったが、この「唐詩選」の編者がかのアルコール・ラムボオ的政治家、宮沢喜一や中川昭一と同じ穴の貉であることを知っていっぺんで嫌いになったが、なぜか本書の著者に対してもいささか興醒めしたことを告白せざるを得ない。
♪拝金のドグマで全身武装して装備して朝から晩まで金利を語る 茫洋
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