Monday, June 23, 2008

萩原延壽著「精神の共和国」をわが田に引く

照る日曇る日第133回

「頼むところは天下の輿論、目指す讐は暴虐政府」と遺言して、亡命の地フィラデルフィアで若い命を散らしたのは、わが敬愛する孤高の自由思想家、馬場辰猪だった。

その馬場を「我が党の士」と呼んだのが福沢諭吉で、福沢は彼が身につけていた「気品」をなによりも愛惜したのであった。

「君は天下の人才にしてその期するところ大なりといえどもわが君におきて忘るることあたわざるところのものは、その気風品格の高尚なるにあり。君の気品は忘れんとして忘るるあたわざるところにして、百年の後なお他の亀鑑なり」(追弔詞)と福沢が称えた馬場の気品とは、「知識や思想に命をかよわす強靭な精神のちから」であった。

福沢が西南戦争を率いた西郷南州の行動にみた国民抵抗の精神、明治政府に出仕することを潔しとしない旧幕の遺臣栗本鋤雲の進退に感じた「痩せ我慢の精神」は、いずれも彼がいう「気品」にかかわっている。

気品とは「学問のすすめ」以来、慶応義塾を創立した福沢がもっとも頻繁に口にした「精神の独立」の別名でもある。

馬場、福沢死して1世紀、軽々に「品格」を口走る平成人輩の胸中に、そもいくばくの「気品」ありや?


穏健な保守の論客にして心の奥底で真の革新を夢見ていた、なんだか懐かしく不可思議なインテリゲンチャのことを、私は大仏次郎の「天皇の世紀」が未完で終わったあと、朝日新聞で長期連載された「遠い崖」を読んで、はじめて知ったのだった。

そしていつまでも続いて欲しいと願っていたあの素晴らしいアーネスト・サトウの物語がついに終わってしまったときはがっかりしたものだった。

さてこれで荻原延壽氏の全著作を読んでしまったことになるが、本当にもうこれでおしまいなのだろうか。なんだか名残惜しいことだ。


長男を突然死で喪いし母親よ赤いセーターがのろのろと動く 茫洋

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