Sunday, October 07, 2007

加藤典洋著「太宰と井伏」を読む

降っても照っても第62回

何度も何度も作品を読み、考え、そして論理とひらめきの端子を辛抱強くつむぐことによって編み上げられた精巧な織物のような文芸評論である。

周知のように、太宰は1948年6月に玉川上水で山崎富枝と心中したが、それまでに都合4回の自殺未遂と心中を繰り返している。

しかしいずれの場合も左翼運動の行き詰まりや、生家からの除籍と結婚生活への不安、生家からの仕送りの打ち切り、妻の裏切りなどでその原因がはっきりしているが、唯一成功した最後の試みの原因だけが、以前深い謎に包まれている。

事実前年の「斜陽」で一躍洛陽の紙価を高からしめた太宰は、当時超人気の流行作家で、ひところの睡眠薬やアルコール中毒の後遺症からも脱し、少なくとも外見からは死ぬ理由などひとつもなかった。

それなのに太宰は「人間失格」を書いて死ぬ。そしてそれはなぜか?と著者は問うのである。

作者は「人間失格」をはじめ太宰治の当時の作品や生活、とりわけ恩師井伏との対立関係などを詳細に分析し、新しく敗戦が彼にもたらした戦争の死者への同情と後ろめたさ、またそれと拮抗するように再び呼び出された、「忘れたい、そして忘れがたい人間の記憶」が、彼を死に突き動かした最大の要因であると指摘している。

「ひとからなんと思われようと、おれは生きる」といったんは決意して小山和代と別れたはずの太宰は、しかし「純白の心」を持つ死者たち、すなわち

 大いなる文学のために、死んでください。
自分も死にます、この戦争のために。

と、太宰に書き遺して死んだ若き弟子たちとの約束を果たすために、あの三島のように潔く自死したのである。

この本では、太宰とその恩師井伏の晩年の角逐についても詳しく紹介されている。

どんなに汚れた心に身を堕しても、したたかに生き延びる頑強な生活者である井伏に多大の恩義を感じながらも、太宰は、最後の最後の瞬間に反旗を翻して、「家庭の幸福は諸悪の本」という純白の御旗を勇ましく打ち振りながら死地に乗入れた。

飼い犬に激しく手を噛まれた渡世の達人井伏は、内心忸怩とした気持ちで最愛の弟子を見送ったにちがいない。

さらに著者は、三島と太宰は同じ死に方をした、と本書で断じている。
彼らは、平和と民主主義と幸福と豊かさと醜い大人の処世術というものにまみれた彼ら自身の戦後の薄汚い生き方をどうしても許容できず、己の手で己を切断する道を選んだというのである。かててくわえて、三島の恩師川端までも、三島の「純白の心」からの糾弾を受けて後に自死を遂げている。

太宰の遺書と考えられる「人間失格」の丁寧な読み直しから記述されるこれらの考察はきわめて論理的で説得力に富む。

しかし、確かに太宰の晩年の心境が「ギリギリのところで正直に語られている」作品だとしても、その次に書かれた、太宰の本当の遺作にして絶筆の「グッドバイ」は、いささか「人間失格」の世界とは異なる心境が披瀝されているように私には感じられる。

太宰は「人間失格」においてドンズマリに陥った即死状態から懸命に身を起して、ふたたびこの汚れた人間共魑魅魍魎どもが跋扈する穢土に雄雄しく居直り、もういちど生き直そうとしていたところ、運命の女との突然の遭遇によって不慮の死を遂げたのではないだろうか?

成熟した大人がこの世で生きることの苦しさと馬鹿馬鹿しさとユーモアとペーソス……。太宰の未完の最後の作品「グッドバイ」は、ヴェルディの最後にして最高のオペラ「ファルスタッフ」に似た独自の世界の端緒を創造することに成功している。

もしも太宰が、彼一流のファルス、人間喜劇の新しい物語を見事に歌い終えていたならば、彼はもはやけっして自死への誘惑に身を任せることはなかっただろう。

とまあ、著者の驥尾に付して勝手なことを書き連ねてしまった私だが、本人ならぬ私たちが死んでしまった人の死因をあれやこれやと臆面もなく想像し、とやかく議論することなど不遜であるばかりか、そもそもその作業自体が不可能なのではないだろうか? 

もしそうだとすれば、本書の著者の最初の問いかけ自体が虚妄であるというほかはない。

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