降っても照っても第67回
アイルランドからの移民の子で、ブルックリン生まれのニューヨーカー、ピート・ハミルによる最新版ニューヨーク案内である。
ニューヨークといっても叙述はマンハッタンの西半分(地図では下半分)のダウンタウンにほぼ限定され、著者が生まれ育って喜びと悲しみとノスタルジーを共にしたこのエリアへのメモワールが縷々綴られる。
あの01年9月11日の同時テロに遭遇した著者と妻の青木富貴子さんの危機一髪のてんまつや、著者の少年期や青春期の懐かしい思い出話も随所にちりばめられているとはいえ、本書の力点はこの小さな盲腸のような地域の歴史を厖大な資料を駆使して丹念に語りつくすことにおかれている。
まずは先住民、そしてこの地をニューアムステルダムと呼んだオランダ人、その後を襲ってニューヨークと呼ぶことにした英国人、さらにその後世界中から殺到した無数の移民たち……。私たちは後年なってニューヨーカーと呼ばれるようになった彼らが、この土地のどこにどんな建物や公園や教会をつくり、どんな人々がどんな生涯を送り、どのように生き、どのように死んでいったのかを、懇切丁寧に教えてもらうことになる。
例えば――、
オランダ人たちが入植地の先端部分を壁で仕切り、外界の脅威がなくなった段階で取り払った地域が、後年ウオールストリートと呼ばれるようになったこと。
1809年にオランダ系アメリカ人作家ワシントン・アーヴィングが採用したニッカーボッカーという名前が、そのまま彼らの呼び名になったこと。
そしてそのニッカーボッカーたちがセントラルパークを造園し、ニューヨーク公共図書館を建て、コロンビア大学を設立したこと。
1914年に日照権裁判が起こった結果、歴史上はじめて用途地域規正法が成立し、その結果その後マンハッタンに建つ高層ビルはクライスラービルのように軒並み尖塔をつけるようになったこと。
1948年カリフィルニアで金鉱が発見され「49年組」と呼ばれる多くの若者が西部に向かった、そのフォーティーナイナーズが、今も当地のフットボールチームの名前になっていること。
1889年のオーティス社製のエレベーターと同時期の鉄骨構造の開発こそがこの都市の高層ビルの建築をはじめて可能にしたこと。
1880年からの50年間にウールワース、シーグラム、クライスラービル、メトロポリタン美術館、カーネギーホール、ダコタアパートなど、この都市に重々しい壮観をもたらしたボザール様式の美しく装飾的なアメリカ・ルネサンス建築が続々誕生したこと。
だからこそ1965年にあの素晴らしいペン・ステーションが取り壊されたときに激しい抗議と怒りが湧き起こったこと、
等々の、忘れがたいこぼれ話の数々である。
ニューヨークとは切っても切れない関係にある有名百貨店や新聞社の歴史についても要領よくダイジェストしてくれている本書は、この街とこの街の住人とその歴史の光と影をを愛する人々にとって長く手放せないバイブルになるだろう。
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