静子さんの思い出
最初は確か小学生が死んだ。
次に、中学生が死んだ。
それから、高校生が死んだ。
校長先生も死んだ。
今度は、赤ちゃんが死んだ。
いや、殺された。
毎日毎日誰かが死んでいく。
毎日毎日誰かが殺されていく。
いったいぜんたいどうしてこんな国になったのか。
いったいぜんたいどこが美しい国なんだ。
誰だって死にたくなるときがある。
ボクだって小学生のときに死にたくなったことがある。
ほんとは死にたくなかったけれど、
きっと学校でなにかつらいことがあって、
ちょっとしたもののはずみで、「死んでやる」と言ってしまったら、
おばあちゃんの静子さんが、
「だめですよ、そんなあほなことをしたらだめですよ。神さんが絶対にお許しにならないですよ」
と、真剣な面持ちでつよくつよく言ってくれたので、
その一言のおかげでボクは死ぬことをやめることができたのだ。
死ぬことにははじまりとおわりとその真ん中があって、
そのはじまりの部分で誰かがきちっとストップをかけると
なかなか次に進めなくなることを、ボクは学んだ。
静子さんは、日本帝国が朝鮮半島を植民地にしていた時代に
現在の韓国のどこかで豊かな暮らしをしていた。らしい。
ご主人と死別した静子さんは、ボクの祖父の小太郎さんに
のぞまれて再婚し、それでボクのおばあちゃんになった。
静子さんは少しだが朝鮮語を話し、ボクたちに朝鮮語で
賛美歌を歌ってくれた。
ちょっと得意そうに歌った。
その歌を彼女の思い出のために、いまここでちょっとだけ歌ってみようか。
♪エスサーラッム、ハッシンム、ウールク ターリク、マーリルネ
ウーリードル ヤッカンナ、エスコンセ マートタ
エールサラ、ハッシン、エールサラ、ハッシンム
エールサラ、ハッシンム、エスコンセ、マートタ
これはボクが知っている唯一の韓国語
これはボクが歌える唯一の韓国語の賛美歌461番「主われを愛す」
そして
これが静子さんの贈り物
そして
いまボクが死なないでこうやってまがりなりにも生きていること
それも静子さんの贈り物
ありがとう、静子さん
ありがとう、静子さん
そしてボクは願う。
いま猛烈に死にたくなった君たちに向かって
突然ボクの静子さんが現れ、
「だめですよ、そんなあほなことをしたらだめですよ。神さんが絶対にお許しにならないですよ」
と、つよくつよく言ってくれることを。
ボクの静子さんのような誰かが次々に現れて、
「だめですよ、そんなあほなことをしたらだめですよ。神さんが絶対にお許しにならないですよ」
と、つよくつよく言ってくれることを。
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