鎌倉ちょっと不思議な物語 第一話
今日から「鎌倉ちょっと不思議な物語」を不定期で連載いたします。
どこが不思議なのかは誰にも分からない、というかなりへんてこりんな内容になるはずなので期待しないでね。
私の家の近所に「太刀洗」という井戸があり、それが鎌倉時代以来この付近の地名になっています。鎌倉には10箇所の名水が出る井戸があったと伝えられていますが、現在ではどこも飲めません。太刀洗は10名井には入っていませんが、上の岩盤を伝って2口の水が流れ、それぞれ水質を異にしているそうです。これを飲もうと思えば飲めます。しかし、その安全性は保証しかねます。
どうしてこの流水を太刀洗というのでしょう。それはこの井戸のすぐ右上の丘の上に千葉出身の大豪族平広常の屋敷があり、その屋敷内で梶原景時が広常を斬り殺し、その血刀をこの井戸水で洗ったからだ、と「吾妻鏡」には書いてあります。
2人とも源頼朝の家来だったのですが、どうも広常は頼朝に信頼されていなかったようです。広常は平家打倒に立ち上がった頼朝の助っ人のなかでは最大武装集団だったのですが、なかなか鎌倉に到着せず、景時などをやきもきさせました。そして武家政権成立後も頼朝からみれば不穏な動きもあったので、恐らくは頼朝の意を体した景時が将棋か碁をうちながら広常の油断をみすましていきなり殺してしまったらしいのです。
ちょうど去年の今頃でした。その景時がおよそ800年前に血まみれの刀を抱えて大刀洗の井戸にやってきた、であろうその場所に、大きなスズメバチの巣ができました。すでに2回こいつに刺され、もう1回刺されたらあの世行きだと医者から警告されている私は、すぐに市役所に連絡して撤去していただきました。
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